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「人魚の眠る家」を、読みました。

カテゴリー │読書



人気作家の東野圭吾さんの最新作(と、言っても、発売されたのは去年の11月ですが・・・)、ようやく借りられたので読むことが出来ました。
毎度、購入しなくて申し訳ないです。

毎回、重~いテーマに考えさせられることが多いのですが、今回は脳死についてのお話でした。
脳死を人の死として、心情的に認めることが出来るのか?

もし、自分が脳死状態になったら、私はそれを自分の「死」として受け取ってもらって構わないなって思っています。
その後で、使える臓器があるなら、臓器移植に使ってくださいって感じです。

でも、これが自分の身内。
特に、自分の愛する幼い子供だったら、どうでしょう?
まだ、心臓が動いているのに、「死」を受け入れることは難しいだろうと想像します。
私には、子供が居ないので想像するしかないのですが。。。

一度は、脳死を受けいれて、臓器移植に同意する両親が、やっぱり諦めきれずに植物状態と言うか、長期脳死状態の娘を介護し続けていくことを決めます。
これが出来たのは、父親の経済力と、父親の会社の技術力があったからです。

これは、親のエゴなのか?
と考えさせられてしまいました。

東野圭吾さんの作品は、時間軸が行ったり来たりすることが多いのですが、この作品は序章を除いて時間の流れ通りに進んでいきます。
それが、なんとなく違和感がありました。
読みやすいと言えば、読みやすいんですが、物足りない気がしちゃうのは私だけでしょうか?

この本を読んで、改めて臓器移植に関しても考えさせられました。
前から思っていて、実際には記入していなかった同意カードに署名しようと思います。





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